長年書きためてきたブログをお引っ越しします。
ヨーガセラピストの日記
いつもクラスにご参加いただきありがとうございます。
今までは「大好きだよ」って言っていたけど
最近は「愛してるよ」と子ども達に言うようにしています
「愛してるってどんな感じだと思う?」
「わからない」
「失敗したり、ママの言うこと聞いてくれなかったり、漢字のテストができなくても、丸ごと全部大好きで大切だってことだよ」
そういうと恥ずかしそうに枕に顔を埋めて「うん」と頷く子ども達
愛してるって言葉は私も馴染みがないし日本人はあまり言わない言葉な気がしていますが、その言葉の重みは誰もが感じているはず
愛された経験が多いほど、人を愛することができるし、自分自身のことを愛せる人になってほしいから、あえて愛してると言葉に出して伝えていきたいのです
だから、私も毎朝胸に手を当てて、自分自分に愛してるよと伝えています
粘土で作った宇宙のお香立て |
少し前に日記に書いた
子供のこと踊りたかったという夢
思ってるだけでなく
やってみようと思い
ずっと踊ってみたかった
花架拳の体験に行ってきました
あ〜ずっとこれを待っていた!!
もう、カラダを超えて
魂レベルで自分が喜んでいるのを感じました
先週は、子供達のミニ運動会がありました
ここのところ、昔のことを思い出す時がある。
子供の頃、おそらく小学生の頃、
保育士さん(当時は保母さんと呼ばれていたけど)の仕事っていいなぁと母に言った。
母は、とても喜んでいたことを覚えている。
小さい頃から、踊ることが好きで
よく音楽にのって自由に踊っていたことを覚えている。
高校生の時、踊りの仕事をしたいと母に言うと、
踊りの仕事ってお金に困るらしいのよね、、、
そう、否定するわけでもなく母は言い、
じゃぁ、やめた、とすっかり諦めた私。
服飾の仕事をしたいと言うと、
おしゃれが好きな母は応援をしてくれた。
料理が好きだった私は、小学生の頃から台所に立ち、
夕食からデザートまで、自由になんでも創作した。
両親は喜んで食べてくれて、それが嬉しくて私は今でも料理が好きだ。
でも、料理に関わる仕事には絶対につかないとどこかで決めていた。
これは大好きなものとしてとっておきたかったのだ。
高校を卒業するころには、
将来の職業をよく考えていた。
ある日、保育園から出てくる仕事帰りの保育士さん達の後ろを歩いていると
愚痴やら悪口めいた会話が聞こえてきて、
私の中の保育士さんにイメージはガラガラと崩れ、
保育士にはならない、そう思った。
結局、スタイリストという仕事についたのだけど、
私は今ヨーガをお伝えする仕事をしている。
時折思う。
あの時、母の言葉を押し切って踊りの世界に進んでいたらどうだったのだろうかと。
振り返ってみると、
私は母の喜ぶことを選んでやってきたように思う。
そして私も母になり、
いつしか子供達に私好みのことで喜ぶ姿を見せているのかもしれないとハッとする。
子供にとって、心の底からやってみたいと思うことが本来の自分なんだと思う。
息子達のヘンテコな踊りも、
私の趣味に合わない子供達の洋服も、
心ゆくまでにやらせてあげようと思う。
そうやって、大人になると忘れてしまう、本当の自分を見失わないように
私はサポートしてあげたいと思うのです。
みなさんが本当に好きなものは、なんですか?
月曜日の朝は、子供たちを学校に送り出すと同時に
私も家を出発して近くのコーヒーショップに行きます。
週末に目一杯、家族と遊び、家事もして、
子供達いなくなると色んな意味でホッと力が抜けます。
家で仕事をすることが多い月曜日の朝は
なかなかエンジンがかからないので、あえて外に。
7月中にsvyasa大学のレポート提出期限なのに
まだ半分も終わっていません...
やっぱり、子育てしながら大学は難しいのではないかとか
こんなやっつけでレポートを作成していて本当に力になってるのかとか
あれこれ考えてしまいますが、
やっつけでも、やっているうちに
ちょっとずつ講義が理解できるようになってきました。
「結果は、天の気にまかせて、やることをやるだけ」
師匠が、そう言っていたことを思い出しました。
進級できるか怪しいですが、
今日もやることをやろうと思います。
今日の青空のように、心をまっさらにして。
子供達は、学校でプールが始まっています。
今日はいい天気になったから、プールに入れるかな?
曇りだと思っていた次男は、プールがないと思っていたようで
今朝は慌ててプールバックを持って出かけて行きました。
晴れ 曇り 雨 台風...
人の力では、どうにもならない天気の下で
私たちは謙虚な気持ちになりますね。
あなたが生まれた時
あなたは泣いて 周りの人は笑っていたでしょう
だから、いつか
あなたが死ぬ時
あなたが笑って 周りの人たちが泣いている
そんな人生を送りなさい
「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生き方」著:加藤諦三 より
最近出会った私の好きな言葉です。
私たちは、産声と共に呼吸がはじまり、
笑顔に囲まれて生まれてきたんですよね。
そして最後に、私たちは何を思い、何を笑うのでしょうか。
私も人生半分に近づき、
残された時間を意識するようになりました。
ヨーガの言葉に
「人生に台本は無し、自分が作者だ」
という言葉があります。
そうそう、私たちは、そもそも自由な存在なんですよね。
自分を解放するのも、縛るもの自分次第。
さて、残りの私の人生、どんな物語にしていこう…
15年前程前、南インド・バンガロール市の中心部から30キロ離れたところにある
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ・ヨーガ・アヌサンダーナ・サムスターナ(s-vyasa)にて
ヨーガの研修を受けました。「平和の郷・Prashanti Kutiram」と言われるその施設は、
大自然の中にあり、日の出と共に瞑想やアーサナをして、心の平和について学ぶ施設です。
そして、今私がオンラインで学んでいるヨーガ大学もs-vyasa。
そんなs-vyasaのYouTubeから、ヨーガの動画を見つけました。
私も気に入っていて、自分のプラクティスにしています。
見ているだけで、心が落ち着くのは私だけでしょうか。
世界の人々が幸せでありますように...どんな絵本が好きかという話になり、
お互いに
同じ絵本が好きなことがわかりました。
その本のどんなところが好きなのか
相手はユーモアがあると感じていて、
私は優しさを感じていて、
あ、ユーモアって優しさなんだね、と
その2つがつながった瞬間でした。
母が亡くなって1年が経ちました。
一周忌の集まりは延期して
それぞれの家で母に手を合わせました。
母は私が1歳ごろに離婚をして
私は親戚に預けられて育ちました。
母が再婚して
一緒に暮らし始めたのが4才か5才ごろ。
不思議とその時の記憶がまだ残っていて、
ふとしたときに思い出します。
寂しい思い出も楽しい思い出も
いっぱいあったのに
母が亡くなったら
楽しい思い出ばかりになっていました。
不思議です。
子供達3人とも3才まで自分で子育てしたいと頑張ってきましたが、
それは、どこか、自分の姿を子供達に投影していたように思います。
もし、小さい頃、お母さんと一緒にいて幸せだったと思っていたら、
どんな選択をして子育てをしていたのかと思う時もあります。
もしかしたら、ヨーガには出会ってないかもしれないですね。
そう思うと、
これでよかったんだなと思えてくるのです。
ゆーきが、初めてストライダーに乗れた日 |
朝のリレー
谷川 俊太郎 作
カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
今朝の朝ヨガで、話題に上がった「朝のリレー」です。
小学校で習うようですが、私は記憶になく、
大人になり友人に教えてもらいました。
大好きな詩です。
2012年が始まりましたね。
「お母さんは一言多い」
と長男に言われたお正月
今年は一言少なめでいきたいと思います笑
そして年明け早々に2回目の緊急事態宣言が発令されましたね。
昨年から判断を迫られることが多いと感じていますが、そんな時、
他人が、どう思うのか、どうしてるのか
自分はどうしたいのか
相手はどうしたいのか
誰に影響があるのか
そんなことを考えてモヤモヤと悩むことも。
自分も相手も相手を取り巻く人たちも
どうしたら幸せな時間を過ごせるのかな
今年はそんなことを考えながら過ごしていきたいと思います。
それはきっと、嬉しい決断だけでは無いと思うし
正解もないのだと思います。
でも、みんなの幸せを考えて悩んで出した答えは、
きっと明日の力になる
そう思うのです。
だって、いっぱい悩むって、生きてる証拠だから。
今年もどうぞよろしくお願いします!
今年も後数時間で終わりです。
変化の多い一年でしたね。
家の中を大掃除するように
自分の生活も見直して大掃除した1年でもありました。
こんなことがあると、
いいところを見ようとか
元気で過ごそうとか
社会にはそんなフレーズが溢れていますが、
私はそれに違和感を感じます。
こんな時だからこそ、
自分の気持ちをゆったり味わい
自然に気持ちが変わっていく自分に付き合っていきたい
あぁ、これが自然体とか等身大ってことなんだ
そんなことを思う年でした。
子供たちも随分と成長をしました。
今年は下の子の七五三のお祝いもして
気がつくと子供達3人だけで別の部屋に寝るようにあり
子育ても少し一段落。
今までお母さん業にどっぷりでしたが、
来年は自分のことを考える時間が持てそうです。
一期一会
今年を振り返り、この言葉がしっくりと馴染んできます。
先行き不透明な世の中だからこそ、
どんな瞬間もこれが最初で最後
「またね」はもうないかもしれないなら
今この瞬間をご飯を食べるように噛み締めて味わっていきたいものです。
さぁ、新しい年がもうすぐ始まります。
今年過ごした仲間たちに感謝の気持ちを込めて。
9月から大学生になりました。インドにはS-VYASA大学というヨーガ単科大学(S w a m i V i v e k a n a n d a Yoga Anusandhana Samsthana)があります。その大学の授業がオンラインで受講できることに。なんて便利な世の中なのでしょうか。子育てしている私にとっては願っても見ないことです。
クラスでお伝えさせていただいているヨーガのエクササイズはヨーガの中の一握りの方法です。そもそも、ヨーガはインドの六派哲学の中のヨーガ学派という哲学の一つ。心を落ち着ける方法や上手に生きるための心やカラダの働かせかたや鍛え方などの生きる智慧とその方法そのものをヨーガと言います。
ヨーガセラピスト資格のための勉強をしてから、早いもので15年?が経ちました。子供も三人に増えて、病も経験し、家族の中でも出会いと別れがありました。いつの間にかおばさんになりましたが、、、おばさんになってからの勉強は楽しいですね。
大学の授業は、オンラインで講義を聞いてレポートを提出します。
このレポートが,なんとも自分の人生を振り返る内容になってて面白い。
ヨーガ哲学から、ヨーガの教典、心理学、基礎医学、サンスクリット語やチャンティングも学びます。
15年前にわからなかったことが、
いま違う理解になって体に染み込んでくるような感覚で勉強しています。
紆余曲折のあった15年間、楽しいことも、苦しいこともいっぱいあったからこそ
ヨーガの教えに深くうなずいてしまうのかもしれません。
ここで学んだことを、体に落とし込みながら、
少しずつお伝えしていければいいなと思います。
ヨーガ・スートラには
心の働きには、苦しみを「伴うもの」と「伴わない」ものがあると記されています。
「そんなこともあるよね」
「そういうこともあるかもしれないね」
こんな気持ちで過ごせたら、
それは苦しみを伴わない心の働かせかたをしているらしいのです。
これは、出来事や相手に対してだけでなく、
自分の体や内側の気持ちに対してもいえること。
人にお伝えする前に、まず自分から。
そんなこともあるよね〜と言いながら過ごしていきたいと思います。
最近、自転車通勤をはじめました。
自宅の杉並から代々木八幡まで、徒歩で1時間半、電動ママチャリで40分。
意外と40分の時間が楽しくて、気持ちもスッキリ、リフレッシュできて、
この猛暑の中、週2回通っています。
イライラすることが多かったこの夏も自転車通勤のおかげで
楽しくなりました。
友人たちにこのことを言いふらし、
すごいね〜と言ってもらって嬉しくなってたけど、
ふと、そう言えば夫はここ何年も自転車通勤だったことに気がつきます。
最近お腹が出てきた夫に
運動不足なんじゃない??と言ってきたけど、
運動不足は私の方だったよ..ごめんね夫くん。
体験してみないとわからないことっていっぱいありますね。
涼しくなったら、徒歩通勤もやりたいな