ということを
「知っている」と「わかっている」とでは違います。
1月末に私の母が亡くなりました、享年69歳。
とっても元気な人で、母は100歳まで生きるよね、
なんて弟と冗談を言うこともあるほどに、イキイキとした人でした。
昨年12月に検査入院をしたら胃がんの末期と診断、
腹水は3Lも溜まっていて、
腹水を抜き検査をすると腹水の中にもがん細胞が発見され、
癌性腹膜炎と診断されました。
余命6ヶ月、抗がん剤治療をしても長くて一年の命と宣告されてから、
あっという間に癌は進行して1ヶ月半でこの世を去りました。
母は自由な人だったので、私とぶつかることもしばしば。
すごく好きで慕っていたというわけではなかったのですが、
癌が判明してからは、どうにもそばにいたくてたまらず、
母が旅立つ時は、どうにか側にいたいという気持ちしかなくなり、
友人やスタッフに相談して仕事を代わってもらい、
家族にも協力してもらって、
ユウキと一緒に実家に泊まり込んで、父と母と一緒に過ごしました。
命の産み方もいろいろあって選べるのと同じで、
死に方も色々あって選べることを知りました。
母は、尊厳死や平穏死という方法を選びました。
治療もせず、点滴もせず、自然に穏やかに死にたい、それが母の最後の願いでした。
食べ物も飲み物も飲めなくなり、枯れていく様子を見届けるのは、
家族としてはとても辛いことでしたし、これでいいのかと自問自答する毎日でもありましたが、今振り返れば、ベストなタイミングで旅立ったのだと思います。
いやぁ、ほんとに、驚くほどに泣きました。
こんなに泣ける自分に驚いたというか、
こんなに母に依存していたということに驚きましたし、
人はいつか死ぬ、いうことを改めて実感しました。
私は大丈夫、私は罹らないから。
それが口癖の母でした。
今、東京をはじめ、日本全国で外出自粛や休業要請が出ていますね。
私は、罹らないから大丈夫。
私は、うつさないから大丈夫。
そう言い切れないことを母が教えてくれたように思います。
怯えることなく、今日も生きていることを大切に、
自分以外の生きている方々の命も大切に過ごしていきたいものです。
ヨーガクラスは3月下旬より臨時休講を続けており、
楽しみにしてくださっている皆様には申し訳なく思っておりますが、
ただいま動画配信の準備を進めております。
来週末ぐらいにはお届けできるかと思いますので、今しばらくお待ちくださいね。
この長引く自粛も誰かの命のためと思い、誇りを持って過ごしていきたいものですね。
ヨーガでは、そのような過ごし方を、「大きな命を生きる」と言います。