2016年1月20日

慈悲の瞑想

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願い事が叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願い事が叶えられますように
私の親しい人々に悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように
私の嫌いな人々に悟りの光が現れますように
私の嫌いな人々が幸せでありますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々も悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々も願い事が叶えられますように
私を嫌っている人々に悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように

生きとしいけるものが幸せでありますように




先日の幡ヶ谷クラスで、最後のシャバアーサナの時に朗読しました。
この慈悲の瞑想は「慈しみの心」を養うヴィパッサナー瞑想の一部です。
「慈しみの心」ってなんでしょうか。
きっと、わが子を愛するように他者を愛すること何だろうと思います。
それはとても難しことですが、この一連の流れを心の中で繰り返していくと
なんとなくカラダに落ちてくるような気がしています。
最後の説が特にいいですね。