2013年12月23日

出産・子育てはインナーチャイルドへの癒し③

生まれてくるタイミングは、赤ちゃんがきめる

どのように産まれてくるかは、赤ちゃんが決める

伝承医学を取り入れた小さな助産院から最先端の周産期医療を行う大病院まで、そこで働く助産師さん達は口を揃えて、そう言います。そこがお産の面白いところなのでしょう。数字では割り切れない宗教的な行為。

入院して3日が過ぎ、降圧剤も減塩の食事をしても血圧は下がらず、降圧剤の量がどんどん増えて副作用に悩まされました。子どもとの不意の別居に、なんとか折り合いをつけようと気持を持ち直してもカラダは正直で、遺伝的に血圧に影響しやすい私のカラダはグングンと血圧を上げてアピールしだしました。

入院して減塩の食事をするとだいたい入院して2〜3日すると血圧が下がるはずなんだが下がらない。ということは、あなたはこれまで努力してきたという証拠だから、あなたのカラダはもう限界にきてるのかもしれない。

そう医師に言われて、この10ヶ月の努力を認めてもらえたことで気持がすーっと落ち着いて、やるだけやったし、もう限界だなという気持になりました。その日の夜、体温が下がり血圧が上昇したため点滴の降圧剤を使うことになり、副作用の説明を受けました。数分後に目もあまり開けれず、ろれつもまわらなくなり、薬漬けのカラダに悲しくなりました。

翌朝、担当医から緊急に帝王切開にした方がよいと話がありました。その時は、もう少し陣痛を待ちたいという気持と、薬漬けのカラダから早く赤ちゃんをだしてあげたほうがいいのではないかという気持で揺れていました。ここで帝王切開を受け入れたら、また前回のように頑張りきれない選択をしてしまうのではないかと担当医と助産師さんに話しました。そんなことはないと励まされながら、気持ちの折り合いをつけ、その日のお昼に手術をして無事に出産。11月14日 12時 36週4日目に2010g男の子を出産しました。

低体温、低血糖で産まれてきた赤ちゃんは、体重が増えて安定するまで未熟児室で過ごすことになりました。

術後は、出産したあとのママと赤ちゃんの病棟に移ります。病室と未熟児室は、術後の私にとってはとても距離があり体力的にもなかなか会いにいけず、またもう1人の我が子とも離れ離れになってしまったことに、同じ病室から聞こえてくる他の赤ちゃんとママ達の声を聞きながら、またまた涙の夜を過ごしました。

子どもと離れることの悲しさ、母親の健康の大切さを痛感しながら、自分も幼児の頃に母や父と離れて過ごしていたことを思い出しました。
思い出すのは、久々の再会で泣き崩れる母の姿で、その時の自分は、無表情で無感情な子どもの私が思い出されました。

それは、入院初日にハルヒが面会の時に見せたあの表情と同じでした。

続きはまたまた。