2012年12月30日

2012年の終わりに

久しぶりにゆっくりと神田川沿いを散歩しました。木々の緑は落ちて、空が見渡せます。川沿いの桜の木に近づいてみると、小さなつぼみをふっくらとさせて、春の準備をしていました。枯れていると思っているのは、私たちだけで、近づいてよく見てみると固い樹皮の中には生命の営みが続いています。

2012年は、私にとって、とても印象的な年でした。生き方を変えていきたいと思い始めた2000年から、ちょうど12年がたち、今日の私はわたしらしくあり、私であることが心地よく、12年前に求めていた自分に戻れた記念すべき1年でした。今はそのように思いますが、ついこの間までは、なんだかもやもやとして、自分の中でなにかが変わったことに気がついているけど客観的にまとめられない状況が続いていました。

いままでは、この世の中は苦しみに満ちているから安らぎの光を内に求めていこうというテーマでクラスも開催していましたし、生き方もそのようにしていたんですね。でも桜の木を見ていたら、この世の中は喜びと幸せに満ちているから、あるがままをみていこうと意識が変わっている自分に気がつきました。目的地は同じだけど、行き方が違うという感じだと思います。

枯れていると思うのか、生きていると思うのかは自分次第、
現実は、そこに葉の落ちた桜の木があるということ。
自分の思い込みを外して木に近づいくことができたら、そこには生命の息吹と幸せがありました。

このことは、子どもを産み育てることで最終的に気がついたけれど、
けして良いことづくしの1年だったわけでもなく、辛いなぁと思うこともよくありました。
でも、そんなときこそ自分のネガティブな反応に気がつくから、
自分を苦しめているのは自分の妄想だと気がつかせてくれる出来事に感謝の気持ちが出てきたりするんですよね。

私がインドでいただいたヨーガの聖名は、samahita devi「平等の広場」という意味がありますが、思い込みに気づき外していくことで、世の中は平等の広場となって、私は自分らしくあれるのだと思いました。